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【創業ストーリー】あの背中を追って-前編

全3回に分けて、ジースタイラス代表・折阪のストーリーをお届けします。

プロローグ

もうこの本を読むのは何度目だろう。
狭いワンルームの床に寝ころび、ハードカバーの単行本を開いた。
ノンフィクション作家が世界中を周り、現地の人と出会い、その人たちの食すものを、危険を顧みず体に取り入れる。現場に足を踏み入れることでしか、世界を知ることはできないし、世界を知ることなしに、人を救うことなんてできない。
「なんてかっこいいんだ」
新聞の連載を単行本にしたこの本は、大学生だった僕の価値観をすっかり変えてしまった。

この本に出合うまでの僕は、ひたすら勉強に明け暮れていた。幼いころから、地方公務員だった親を見て育った。彼らは世の中の役に立っていたように見えた。それを見て、自分も会社に勤めるよりは、公務員として働きたい。それならば、国家公務員を目指してみよう。そう思って予備校にも通っていた。
大学二年になると、OB訪問を始めた。同じ大学を卒業して官僚になった人たちに会いに行き、話を聞いた。
ところが、なぜかぴんと来ない。新しいことに挑戦している人にはほとんど出会えなかった。担当している仕事を聞いても、なんだか地に足が付いていないような気がする。この違和感は何なのだろうか。
だからといって、今さらサラリーマンを目指すのはどうも気が進まない。なんにしても、「サラリーマン(=給料をもらう人)」という響きがよくない。

そんな時に出会ったのがこの本だ。しっかりと地に足が付いている。現地で現地のものを取り込むことでしか、本当のことを感じえない。
あおむけで読んでいると、本を支える腕が疲れてきた。仕方なく、横向きになり腕を床に付ける。多少は楽になった。
開いているページには、原発事故の起きたチェルノブイリの近くで、放射能に汚染されている食物を食べる様子が描かれていた。そうして、体で現場を感じながら、今起きていることを取り入れる。それはどんな気持ちがするのだろうか。
この本を初めて読み終えた後、偶然知った著者の出版講演を聞きに行った。現場を訪れて事実を伝えようとする意気込みと努力、使命感のようなものを強く感じた。仕事に妥協しない姿は、これまでに出会った社会人とはレベルが違う。信念を強く持っている彼を見て、「僕のロールモデルだ」と思った。
その講演のすぐ後、僕は公務員試験のための予備校を辞めた。

第一章 世界中を回る船の上で

予備校を辞め、大学へ行く意味もよくわからなくなっていた僕は、バックパッカーでいろんな場所を旅した。その後しばらくすると、ピースボートの船の上にいた。
ピースボートとは、数ヵ月 かけて船で世界一周をする旅のことだ。五十万円以上もする旅費は、ボランティアとして船内で働くことで割引になる仕組みだった。そこには、純粋に旅行を楽しむ人のほかに、社会に受け入れられなかったり、日常生活で居場所がなかったりする人たちが多くいた。

「二年後には、世界が滅亡するんだ。何か新しいことをしても意味なんてない」
目の前の二〇代の男は、いわゆる、「ノストラダムスの大予言」を信じ、世界に絶望していた。二〇〇〇年に世界が滅亡するとした言葉を信じて、自暴自棄になっているようだった。
さっきまでは、その横の女子高生が、自分が育った家庭環境の話をしていた。
「親はほとんど家にいなくて、友だちの家でご飯を食べていたんだよね。だけどまあ、ずっとってわけにもいかないよね。今は家を出て転々としてる」
そう話していた彼女の左手首には、刃物で切った浅い傷が何本も走っている。
「この旅が終わったら死のうと思っているんだけど、せめてその前に世界を見ても悪くないかなって」

そう話していたのは、どこで働いても職場になじめず、毎回仕事を辞めることになり、ここ半年ほど引きこもっていた男性だった。
「この社会では生きていけないから、俺は死ぬしかないんだ」
テレビや新聞のニュースで見聞きする話。リストカットや、引きこもり、不登校、いじめ……。そういう社会の問題は、ニュースの中だけでなく現実としてあるのだ。
ノンフィクション作家が、異国の地の食べ物を逃げずに取り込んだように。僕もこの人たちの問題を受け入れられないだろうか。僕ができることは何だろう。

・・・・・・・・・・・

船の上では、ボランティアとして働きながらでも、毎日時間がたくさんあった。食事どきにみんなで集まり、その後もたくさん語り合う。
「私みたいに両親が最悪なのはどうにもならない。運が悪かったなーって思う」
「家庭環境はひとそれぞれ。だから、これからは教育を変えていく必要があるんじゃないのかな」
最初は数人だった集まりが、徐々に増えていった。居場所がない人たちが集まり、話をするだけで大きな価値があると思えた。
そのうち、この集まりに「Edu」という名前が付いた。
「ここで出た意見をそのままにしておくのはもったいない。話すだけじゃなくて、発信しよう」
そう言って、話している内容をまとめ、A3用紙に「Eduニュース」として手書きで原稿を書いた。コピーして船に乗っている人たちに配布した。
最初はどれほど読まれるか不安もあったが、かなり手ごたえのあるものだった。配布するたびに、メンバーが増える。集まりに参加するメンバーだけでなく、記事を書く人たちも増え、毎週発刊できるようになった。
「今度、『いじめ』をテーマに書いてくれない?」
そんな風に、記事や特集にリクエストが届くようにもなった。
「せっかく媒体があるのだから、いろんな人にインタビューしてみよう」
そうやって、船が降り立つ先々で、インタビューの依頼をした。インドネシアの大学を訪れたり、インドの若者と交流して座談会をしたりした。
船に乗ってくるさまざまな著名人にも話を聞いた。作家、弁護士、テレビに出ているような著名人にインタビューする機会もあった。
Eduの集まりには、毎回三十名を超える人数が集まるようになった。

だがときどき、こんな風に言われることがあった。
「折阪君は、ちゃんと大学に行っているし、あまりにまともに生きてるよね。そんな人に私たちの痛みなんてわかんないよ。何言ったってきれいごとだよ」
日常とあまりにも離れた場所で、居場所を作ったつもりだったが、いずれ旅は終わってしまう。

第二章 「死にたい」を救えない

ピースボートを降りた僕らは、現実と向き合わなくてはならなくなった。でも、活動は続けていこう。毎日顔を合わせることはなくなるから、拠点が必要だ。Eduのたまり場として、みんなで一軒家を借りた。そこに集まり、話し合ったり、活動内容を相談したりしていた。

活動の幅は広がり、東京だけでなく大阪や名古屋で「これからの教育を考えよう」というテーマでイベントもしていた。

十二月の初旬、借りた一軒家に数人で集まり、年明けに開催するイベントの準備をしていると、中心メンバーの浩子から電話がかかってきた。彼女はいま大阪にいるはずだ。
「麻理子からさっき電話があって、『元旦の日に死ぬ』って言ってるんだけど」
麻理子は、ピースボートから一緒に活動している女の子で、高校を卒業したばかりだった。手首に無数のリストカットの痕。年が明けるまで、あとひと月もない。
「いつも死にたいって言ってたけど、そうやって具体的に言うのは初めてじゃ……」
「どうすればいいと思う? 最近会ってないからよくわからなくて」
関西に住んでいる麻理子は、船を降りてからあまり集まりに来られなくなっていたが、会うたびに不思議なことを言う子だった。
「折阪さんは、ナイトの生まれ変わりだよ。ほら、そっちの肩に妖精が乗っているから、その子が教えてくれるの」
幻覚が見えているのだろうか。ほかのメンバーにも幻想的なことを言うから、あまりなじめていないようだった。

だけど僕は麻理子にも、生きがいや、やりがいのある仕事を見つけてほしいと思っていた。
僕は電話の先の浩子に向かって言う。
「話を聞いてあげたらいいんじゃないかな。会いに行けたら、行ってほしい。僕らからも電話してみるよ。できればそっちでも集まって対策を相談してみて」

あまり大したことは言えずに、電話を切った。

・・・・・・・・・・・

社会に適合できない人たちが、少しでも良くなるように、変わっていけるように活動してきたつもりだった。
たまり場に飾ってある色紙を手に取る。それは、ピースボートを降りるときにみんなが書いてくれた寄せ書きだった。
「突っ走るタイプで、行動力がすごい」
「置いていかれちゃってました(汗)」
「折阪さんみたいに行動できない。尊敬する」

メンバーは、自分の話をしたがる。それに、教育への問題意識もある。だけど行動するとなると難しい。僕ばかりアクションを起こして、まわりはなかなか動いてくれないイメージを持っていた。
僕は、突っ走っているのだろうか? 周りが動かないだけなんじゃないか?
寄せ書きからは、メンバーと向き合っていない僕の姿が見えるようだった。話を聞いて、向き合っていたつもりだったけど、行動することで置いて行ってしまうのだろうか。
その場にいるメンバーとは、イベントの準備から、麻理子に何ができるかという話に移っていた。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。みんなで話していた部屋から出て階段を降り、玄関のドアを開けると、外に裕司が立っていた。
「おお、久しぶり」
一カ月ぶりくらいだろうか。僕は裕司をそのまま部屋へ招き入れた。裕司は二十代後半くらいで、あまり話すのが上手ではないタイプ。髪の色は緑だった。
二階へ上がって絨毯の上に座り、メンバーが輪になって話すのを聞いている。相変わらず麻理子の話題だ。
「麻理子は、居場所がないんだよね」
「たぶんここしかないんだと思う。だけど、そんなにしょっちゅう来れるわけじゃないし」
「バイトしてるんだっけ?」
「うん。前はしてたかな。でもすぐ辞めたみたい」
「ほかに頼る場所があれば、気持ちが変わっていくと思う。どうやったら他に居場所を作れるのかな」
今までも同じ話を何度もした。こことは別に、頼れる場所が必要なのだ。
ふと話が途切れた時に、裕司がぽつりと言う。
「俺も死にたいんだよな」
以前から、そうやって軽く言うのだった。裕司も、アルバイトを転々としては、落ち着ける居場所がなくて生きづらくなっている。
結局それから、浩子に電話をすると、麻理子と会う約束をしたと言っていた。数日後、僕からも電話をして、そ知らぬふりで「いつでも待ってるよ」と告げた。

・・・・・・・・・・・

連絡が届いたのは、突然だった。
元旦を待たずして、麻理子は自らの命を絶った。

――どうして、こんなことになってしまったんだろう。僕は麻理子と向き合えていなかったのだろうか。麻理子だけじゃない。ほかのメンバーとも向き合えていないのだろうか。僕の力が及ばなかったんだ。

――それにしても、なぜこんな世の中なんだ。彼女の周りにいる人は何をしているんだろう。ひとりの命すら救えない。

――僕らは、麻理子を守ろうとしていたのに。なぜ、ひとりで決めてしまうんだ。

麻理子に対する怒り。裏切られたような気持ち。世の中に対する怒り。自分に対するふがいなさ。いろんな思いが一気に押し寄せてきた。

その一カ月後、今度は裕司が命を絶った。
つまり、僕は二人とも救えなかったのだ。
「折阪君には、私たちの痛みなんてわかんないよ」
ピースボートで言われた言葉が頭に鳴り響く。
「折阪さんみたいに行動できない」
色紙に書かれた寄せ書きの言葉。
一人ひとりに向き合おうとしても、限界がある。死のうとしている人に、僕ができることは少ない。

僕はその出来事を機に、個人に向き合うのではなく、社会と向き合っていこうと考えた。生きにくい現場を知っているからこそ、できることがあるはず。
これからは、教育の出口である「働くこと」に対しても活動を進めようと考えた。僕自身が、公務員を目指していたからこそ勉強を頑張れたし、その後アルバイトやボランティアをするようになり、結局働くことで社会との接点を見出していたからだ。
働くことがもっと楽しくなれば、教育も変わるのではないだろうか。
「何言ってるの?」
「ついていけないよ」
これまでのメンバーには、説明してもわかってもらえなかった。でも僕は、僕が信じることをやるだけだ。

文 栃尾江美
絵 山本麻央

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